自分の可能性を拓くことができた かけがえのない母校での時間
宮原 華音さん
女優・モデル
日本芸術高等学園 演劇・音楽科 2015
年卒業 現役大学生
モデルや女優などの芸能活動を通じて高等専修学校と出会った宮原さん。在籍中に芸能活動をしながら志望大学への受験に合格するなど、紆余曲折を経ながらもその翼を大きく広げてくれた青春時代。現在も、学業と同時に、テレビドラマや映画、舞台など多くの場で活躍する彼女の素顔に迫った。
-特技は空手 必殺技はハイキック 異色のヒロインができるまで-
特技は空手。必殺技は"ハイキック"。一見至ってどこにでもいる今どきの女の子なのに実はパンチやキックがめっぽう強い。劇中では血気盛んな男達を相手に手加減なしのハードな格闘アクションを繰り広げる異色のヒロイン。女優・モデルの宮原華音さんが最も得意とする役どころだ。現在は、テレビや映画、舞台などマルチな女優として活躍しながら、将来のために資格取得を目指して勉強中の大学生でもある。
小学生のころから続けている空手は正に本格的。全国大会優勝の実績もある。しかし、彼女の笑顔や肩の力が抜けた姿勢からは、格闘家のストイックさや、芸能人としての気負いは感じられない。むしろ身近で親しみやすくそのままの姿が魅力だ。
好きな空手に打ち込む日々を送る一方で、思春期になると歳相応におしゃれにも興味が湧いた。10代の女の子向けのファッション誌を読むのが好きになり、幼いころから背が高く、周りの友達からも「将来モデルになってよ」などと言われていたことから、読者モデルのオーディションに応募。オーディションにはなかなか受からなかったが、高校生ぐらいまでのつもりで応募は続けていた。
転機は中学3年生のとき、人気タレントを多く輩出している「三愛水着イメージガール」に最年少で選ばれ一躍脚光を浴びると、芸能プロダクションからもスカウトが押し寄せた。
しかしスカウトたちの話の多くは、空手をやめて仕事に集中して欲しいというものだった。
「絶対空手を続けながら芸能の仕事もやってやると思っちゃって」
一旦は、勧誘されていた空手の強豪高校に進学。しかし、ハードな空手の練習と長時間の通学、芸能活動との両立などが響いて故障。そのままでは空手が続けられない状態になってしまう。
「今が切り替えどきかなと、もっと本気で芸能と向き合ってみようと思いました」
芸能活動に本腰を入れるために、仕事をしながら通える学校を探した。日本芸術高等学園が魅力だったのは、芸能の仕事が現場での実習として認められること。2年次からの編入が決まった。
-本格的に仕事をこなせるのは母校で学んだ基礎があるから-
トレードマークのハイキック。劇中の演技で見せる空手は、実戦の空手とは異なり、「魅せる」ことを意識した鍛錬が必要だという。現在も仕事や勉強で忙しい中、道場での稽古は続けている。
日本芸術高等学園に在籍した2年間で得たものは大きい。演劇やダンス、楽器、歌、殺陣アクションなど、それまで興味もなかった分野に触れることができた。舞台の現場で踊らなければらないときに、踊りの振り付けや動きを早く覚えられ、空いた時間は演技を深めることに費やすことができる。
「特にダンスはバレエ、ジャズ、ヒップホップ、タップと学校で学んでいたから。後は、自分がやりたくないことでも向き合える姿勢が身につきました。苦手なことでも、上手いか下手かは別として、舞台でやらきゃないときに向き合える」
また、途中で編入してきた宮原さんを、生徒たちは温かく迎えた。「途中からだったので不安もあったんですけど、すごくみんなが仲良くしてくれて」
日本芸術高等学園の生徒たちはみんな何かしら芸能を志している。互いに理解があるからこそ、学校からは仕事に行きやすかった。出掛けるときはみんなから「行ってらっしゃい」「仕事頑張ってね」と声が掛かる。卒業しても関係が続き、お互いの仕事を応援し合えるのも"日芸"の良さだ。
部活動ではチアダンス部に所属し、東京ドームのグラウンドでダンスを披露したことも。編入後すぐにあった修学旅行も、青春時代を味わえた掛け替えのない思い出だ。
しかし、最も思い出すのは毎日の登下校だという。「駅前にコンビニがあって、そこには日芸生がいっぱいいて、朝からケーキを買ったりとか(笑)、寒い日はトン汁やおでんを持って登校したり」。今振り返ってみると、そんな他愛のない光景が最も愛おしい。
-仕事をしながらも大学受験大学入学資格が挑戦を後押し-
学園時代はチアダンス部に所属した宮原さん。体を動かし、かわいいファッションが好きな宮原さんらしい。(前列左)
在学中に芸能の仕事がどんどん増えていった宮原さん。大学に行きたいと思ったのはなぜなのだろう?
「仕事は大好きなのですが、ふと、これだけをずっと続けて大人になっていくのは、不安も正直あって」
専門学校も考えたが、目的の資格が取れる大学の存在を先生が教えてくれた。オープンキャンパスに足を運んでみると、専門学校よりも時間に余裕が持て、充実した環境に魅かれた。
それからは、仕事の合間を見つけては受験に向けて面接や小論文の勉強に追われた。3年生になると仕事も徐々に忙しくなっていき、受験の当日も、終了後すぐに新幹線でロケ地へ向かわなければならず、合否の心配をしている暇もなかったが、合格を知ったときは喜んだ。
-"孤立"ではなく"独立" 自分次第でどのようにも道は拓ける-
学園に編入してすぐに行った沖縄への修学旅行。(写真左)みんなと仲良くなれた青春時代の1ページだ。
宮原さんが現在、日々の活動で心掛けていることは「誰かと一緒にならない」ことだと言う。例えばあるオーディションで、その日の服装について聞かれたことがあった。他の参加者は一様に、その場に似合う服装だと答える。しかし、宮原さんは「いつでも蹴れる格好で来ました」と、自分の個性をその場に印象付ける。
「もともと人見知りなんですけど、一人っ子なので一人でいることが苦じゃないんです。一人行動が平気だし、一人でいてもあまり孤独を感じなくて。学校でも、なんとなくみんなに合わせなきゃいけないようなことには加わらなかったですね」
決して協調性がなく、集団の中で淋しくしているのではない。周囲に流されずに自分を持っていられるのだ。
当時の宮原さんの恩師も「仕事をしながらの大学受験で、やはり陰ながら努力していたのでしょう。仕事でも単独で動くことが多かったようですが、彼女は"孤立"ではなく、"独立"していたという気がします」と振り返る。
宮原さんは、これからも、大好きな空手で、この路線を走っていく。空手が正式種目となる東京オリンピックにも「係わりたいと思っているんです」と意欲をのぞかせる。また、最近は仕事で役や演出と向き合うことも増えてきた。
「演技だけでも勝負できるようになりたいという気持ちも出てきていますね」
大学生となった宮原さんは、今、お世話になった母校を振り返りながらこう紹介する。
「"日芸"は自分のやる気次第でどうにでもなると思っていて、授業で何か一つ面白いなと思って極め始めたら必ず何かしらつながる。本当に自分はここに来て仕事が増えたし、仕事が楽しいと思えるようになりました。同じ夢を持っている人がいるからこそ、ライバルでもあるし、応援してくれる友達でもあるし、すごくいい環境が整っていると思うのでその時間を大事にして欲しいです。それに、進路をたくさん選べる学校です。自分のように行きたいと思えば普通に大学にも専門学校にも行けるし、事務所に所属するチャンスもいっぱいあるので、それこそ仕事をしながらちゃんと卒業したい人はベストだと思います。自分次第で道はたくさん拓けると思います」